富士登山③

やっと頂上に着いたとき、御来光の10分前。

あきらめていたけど、運良く間に合った!

頂上にはすでに人だかり。

出たーーーーー!!!!

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御来光見た後は、お店に入って買い物でも・・・

と思っていたけど、もう入り口から来た人とお店に向かう人の人だかりで1歩も動けない状態に。あきらめて、5時30分、とっとと下山。

後ろを振り返ると、カラフルな色とりどりのジャケットが山々に連なっていて、これまたきれい。

とにかくひたすら転ばないように踏ん張って歩いて歩いて。

9時30分、下山から4時間で、5合目に到着。

トータル数、14時間。

やったーー!!

2回目の富士山は、歩くことに問題はなく、靴はちゃんと登山用の靴だったので、初めてだったけど、ぜんぜん痛くならなかった。

けど、高山病とその後の筋肉痛が大変だった。

高山病にさえかからなければ、かなりゆっくり歩けば大丈夫だと思う。

今回、父は今までで1番大変だったろうけど、忘れられない思い出になっただろう。

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富士登山②

「夕方までに着ければいいから。今からじゃ、早い時間に着いちゃうね」

なんて話していたけど、7合目あたりから急斜が厳しくなり、足元がおぼつかない岩場がでてくると、父があせりはじめる。

私は岩場の方がおもしろくて好きなんだけど。

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山小屋が多いので何度も休憩しながら、酸素缶をすったり、飲む酸素を食べたり、非常食を食べたり。

私は水分を少しずつとってはいたけど、朝からすでにお腹を壊していたので、あまり飲む気がしない。ここでお腹壊しても・・・しかもトイレは200円かかるので、あまり入りたくない。十分に水分補給しないといけないのに。。。

八合目からは心臓がドキドキしはじめ、休憩の回数もかなり増える。

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父が腰が痛いといいだし、私のリュックと交換してあげる。

その後も父のリュックに入らない荷物を私が背負う羽目に・・・(疲)

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そして本八合目に到着した頃には16時45分。

思ったより時間がかかって、約7時間で山小屋に到着。

すぐに夕食をとって、18時前には布団に入った。

布団の狭さや、うるささはだいたい想像していたが、思ったよりも狭くて、布団は1枚に2人という感じだった。

出発時間は2時だが、それまでに何度も起きた。

うとうとしている頃、「頭痛い。薬ない?」という女の人の声と、またしばらくすると他のグループで「この症状は高山病ですね」という声が聞こえてきた。あぁ~、みんな高山病かぁと思って眠りについた。

そして次に起きたとき、高山病にならないように宿泊にしたはずが、まったく疲れはとれていないばかりか、ひどくなっている!

リュックで肩が圧迫されて、血行不良になっている。

そして頭が微妙に痛い。

私は眠ると呼吸が浅くなるので、酸素をうまく吸えなかったようだ。

(後で調べたら、横にならずに起きた状態で休憩してから寝たほうがよかったらしい)

このままいったら降りないと行けない?!

でもこんな暗いところで、登ってくる人の渋滞がおきてるところを引き返せる?!

無理、無理。どちらにしても無理。

と思っていたら、トイレに行ったとき吐いてしまった。

後で聞くと、父は下痢と頭痛、吐き気、食欲不振。

旦那も頭痛。

みんな高山病になっていたらしい。

気休めに食べる酸素を食べて、落ち着いてから出発。

すごく寒かったけど、寒いの大嫌いな私は今回、完璧な装備。

重い思いをして持ってきたかいがあった。

登りはじめたら、頭痛も吐き気もおさまり、後は人の渋滞の波に乗って、ゆっくりとただひたすら歩いていた。

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富士登山①

うちの父と旦那と3人で富士山に登ってきた。

私と旦那は2回目。ちょうど同じ日の5年前?に富士山に登った後に、婚姻届を出した記念日でもある。

今回父を誘ったのは、父も山登りが好きだけど、富士山は登ったことがなかったし、もう今年行かなかったらいつ行けるかわからないので気軽に誘った。山好きなら生涯1度くらいは登ってみてもいいでしょ。

けど、よく考えてみたら、秋田からこっちにくる交通費、宿泊費、道具なんか入れると10万円ぐらいかかってる。

これは成功させたいなぁ・・・

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前回登ったときは、少し昼寝しただけで、夕方に車で家を出て、5合目まで最終のバスで向かい、そのまま富士宮口から頂上目指し、一気に登って御来光に間に合って帰ってきた。

記憶ではすっっごく疲れて、7合目ですでになんで登ろうなんて思ったんだと後悔し、帰りは朦朧として

「疲れた」「寒い」「足が痛い」「まだ時間かかるの?」

と文句を言っていた気がする。

今考えると、若さゆえにかなり無謀

なので今回は前回の教訓を生かして、きちんとしたリュック、靴、道具を持ち、登り方もゆっくりを心がけることにした。

なんといっても途中、山小屋に泊まって体を休めるから大丈夫!

そして、1度も履いたことのない登山靴と背負って登ったことのない6キロのリュック、運動していない体と、根拠のない自信を携えて登り始めたのだった。

体力作りしてないし・・・

ぜんぜん教訓、生かしてないじゃん(;´)Д(` ) !!

↑いつもそう

9時15分、吉田口出発!!

この日は歩くと暑いし、止まると少し寒い感じ。

日焼け止め、変えのTシャツ、雨具も持ってきたが必要なし。

登り初めは順調。

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山②

八甲田雪中行軍遭難事件

1902年、日露戦争の2年前に起こった事件。

対ロシア戦のための、冬季軍訓練を青森にある八甲田山で行った。

同じルートを、青森隊(210名。いきなり八甲田山を登るルート)と弘前隊(37名。最後に八甲田山に登るルート)に別れ、雪中行軍を行った。

しかもその日は最低気温最悪の日。

結果、弘前隊37名は全員無事

青森隊は遭難し、

210名中199名が死亡

ものすごい数字である。

新田次郎さんの小説『八甲田山死の彷徨』は、この事件をもとに書かれ、それを読むと、もう悲惨なものでぞっとする。最後には発狂して亡くなる人や、バタバタ倒れて行く人達。想像しただけで凍えそうで、どんな思いで歩いていたのかと思うと胸が痛むし、寒いのが大嫌いな私にとっては恐怖である。

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読んでいくと、昔の装備なんてたかが知れてるし、案内人はつけないわ、休むべきときに歩きだしたり、冬山を軽く考えすぎているし、指揮する人が多すぎて収拾つかないように思えた。

指揮官であった神成文吉大尉と私は同じ出身地ということも初めて知った。とても気の毒だ。

11名の生存者も、3名以外は凍傷にかかり、手、足を切断せざるおえない状況だったという。

そして、その無事だった3名の中に私の遠いご先祖様がいる。(後に日露戦争で重症している)

どんな行動をとったのかわからないけれど、ただ運がよかっただけかもしれないけれど、死んでいてもおかしくない状況で、生きて帰ってこれたから私がいる。(のかもしれない)

おじいちゃん、ありがとう。

確かうちの家族が昔、なんか言ってたな~と思って、まったく興味がなかったのに、初めて詳しく真相を知ろうと思って調べてみた。

2月にはいって誕生日を迎えたが、あらためて、

生きていることに感謝!

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山①

最近、「山」関係にピヨ彦とはまってる。

山関係の雑誌を読んだり、漫画を読んでみたり。

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↑「ビッグコミックオリジナル」の『岳』は、山岳救助ボランティアの話だけど、毎巻、感動して泣いてしまう。全巻そろえたいほど。

あとは、アウトドアメーカーの靴とか洋服とか、すごくかっこよく思える。機能もいい。(なかなか手が届かないけど)

以前は一人で低い山に登ったり、二人で富士山に登ったりもしていたが、子供が生まれてからはさっぱりだった。

だけどこの間、2歳10ヶ月の彦一と3人で神奈川の大山(標高1,252m)に登ってみた。

ケーブルカーに乗って、なんとか彦一を励まし、だましだまし歩かせて、最初は「(僕が)一番!」といって先頭歩いたり、歌を歌ったり、途中何度も人数を確認するという隊長ぶりをみせていたが、3?4?分の1あたりで急に電池が切れた。

そしてそこからピヨ彦は、彦一を抱っこで頂上まで登り、下山では彦一、寝てしまい、とうとう最後まで抱っことおんぶ。担いで上り下りするピヨ彦もすごい。

途中、ケーブルカーの最終便に間に合わなくなるかもしれないというドキドキ感を味わう。

もっと低い山からはじめないと。。。

そしていつかまた富士山に登りたいなぁ。と思うのだった。

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